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ハイコとアマゾン

スーパーウーマンの母アマンダ・ブレハ

世界の巨大施設やドイツのフランクフルトに観賞魚のファームを設立したアドルフキール(Adolf Kiel)は、現在のアクアリウム界のパイオニアで、「水生植物の父」
として有名である。
その娘として生まれたアマンダブレハ(Amanda Bleher ※旧姓:Amanda Flora Hilda Kiel)はとても冒険好きで、魚や植物を採集するために世界中を旅していた。
彼女は何でも男並みにこなすスーパーウーマンであった。
彼女はドイツでモーターバイクに乗った初の女性で、男性と競合し、ヨーロッパのモトクロスカーレース148試合で勝利し、テニスや卓球は世界第2位、ヨーロッパ
のアイススケートのチャンピオンシップで勝利、また、エンジンなしのハンググライダーを飛ばした初の女性であった。
運動神経もズバ抜けたスーパーウーマンであった。
そんな彼女が意欲的に挑んだのがアマゾン探検。7歳のブレハとブレハの兄・姉妹ら3人を連れてアマゾンの未開の密林に入って行った。
これが、彼とアマゾンとの初めての交差点である。

初めてのアマゾン冒険

ブレハが7歳の時、南アメリカへ“Die Jagd auf den Diskusfisch“ (“ディスカスを求めて”)の冒険へ母とともに赴いた。
彼の母は、ブラジルの動植物を1817〜1835に採集し、初めてのディスカスを発見したオーストラリア人のヨハンナッテレルの後をたどって行ったのである。
その冒険は大変危険で、南アメリカの密林「緑の地獄」へ深く深く旅していったのである。
まだ未知のインディアン族達が住む地域に到着したとき、彼らが到着するちょっと前に、なんと4人の宣教師が殺されて食べられていた。
ハイコらは6か月以上も自然の中で暮らし、60種類以上の新種の水草・無数の魚や多くの動物を採集したのである。
まだ小さな子供だったハイコは、インディアン達と同じ食べ物を食べ、マト-グロッソの魚や植物を採集しながら、インディアンの様に暮らし、命や魚の行動学、
未開の地の驚くべき未発見の魚に精通していった。
これが後の彼の原点となるのである。彼はまた、8歳の時にウィンプルピラーニャ、様々なプレコやカラシン種を初めて発見した。
2年後、5人で現代へ帰ってきた話は、世界中の新聞の見出しを飾った。

初めての・・・・

実は、ハイコの母アマンダ・ブレハは、ワイルドディスカスを追いかけた初めての女性であり、フランクフルト動物園で展示するために、第二次世界大戦後の
1948年に初めて生きたディスカスを輸入したのも彼女が初めてであった。
であるならば、その素晴らしい古代ギリシア人たちが試合に使われた皿のような形をした素晴らしい魚の世話をした最初の7歳の子供はハイコであるだろう。
まさしく、彼は私達ディスカスホビーストの先駆者であり、発見者でもあるのだ。

そしてまたアマゾンへ・・・

1962年に南フロリダ大学にて、意欲的に魚類学・生物学・陸水学・海洋学・寄生虫学他について多くを学び、ファームで働きながら、19歳の時には、熱帯魚の
トップブリーダーとして有名となり、最初の賞を受賞した。2年後、アクアリウムリオを開業する為にリオに戻り、ブラジルで採集を始めた。
1963年に彼が作り上げた4000Lもの大きなアクアリウムはドイツの大統領より、「best tank decoration」(最高の水槽の装飾)を授与された。
1964〜1965年には素晴らしいラム酒色したラミノーズテトラ(Hemigrammus bleheri)を発見し、それは彼の名前から名付けられた。そのテトラは今や最もポピュラーな熱帯魚の中のひとつである。彼はまた、ディスカスでは「ロイヤルブルー」を初めて発見し、それもまた有名なもののひとつである。
彼はその後も多くの新しい未採集の地域を探検し、本やビデオを発売し、TV番組にも出演、WEBサイトも立ち上げている。また、世界中でセミナーやコンテストの審査員も行っている。
そして、それと並行して、年に数回、彼にとって第二の故郷とも言える密林へ入っていくのである。

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